ESSAY

2017-04-03

もとは光り。

この人は赤っぽいなだとか、この人は緑だなとか、黄色だなとか、青ではないなとか、紫っぽいだとか、人の印象を色に置き換えることは、一度ならずやったことがあるだろうし、もしかすると今でもそういう具合に相手を分析分類している人もあるかもしれません。

ぼくは青っぽいと言われますし、じぶんでもなるほどそう思います。限りなく透明に近いブルーとは言いませんけれど、無色に近いブルーだったのが、だんだんと、歳を重ねるごとに群青に近づいているみたいです。そういえばアミューズメントパークなどに行くと、「オーラ診断」だなんて、数百円で、色を見てもらえる占いのようなものもありますね。ぼくの両親はああいうのがすごく好きです。

話が逸れました。人にはそれぞれ、この色っぽい、この色ではない、というカラーがあるように思われます。けれども、元をずっとたどっていけば、はじめから、生まれたときから色が決まっていて、出て来た瞬間に「何色だ!」とはならないはずです。強いて言えば、赤ちゃんは七色ではないかと思います。それはすなわち、色というよりも「光り」です。なんとなく、ぼくはそう思っています。

光りのなかにはすべての色があります(たぶん)。そこから環境やら経験やら資質やらで、ある特定の方向に偏っていくのではないかしらんと。でも、仮にぼくが青でも、あなたがオレンジでも、元はといえば「光り」だったわけです。そう考えるのは、なんだかとてもうれしい気がします。

ぼくら今がどんな色であれ、光り輝くときがあります。文字どおり、そう表現される瞬間が人間にはあります。大舞台に立っているとき、幸福に満ちあふれているとき、スポットライトを浴びて自信に満ちているとき、ぼくらは色を昇華して「光り」に戻ります。

あんまりこころに埃をかぶると、じぶんが光るなんてことさえ忘れてしまいそうになります。たくさん笑いましょう、好きなことしましょう、じぶんを磨きましょう、光ってやりましょう。

イデトモタカ