ESSAY

2017-04-04

愛すべき他人。

じぶんを他人だと思えたら、もう少しなにか変わるだろうか。この人が他人なら、けれどとても大切な、そして愛おしく尊敬できる相手なら、ぼくらのなにかは、あるいはなにもかもは、どのように変わるだろうか。

まず、彼(彼女)にこれを食べさせるかだ。じぶんなら食べてしまうだろうけれど、彼にはあんまりおすすめじゃない。健康的ではないことも、その後の生産性が下がるのも、ぼくは知っているからだ。

あと、あまりにも不毛な時間を、少しならともかく、長時間は過ごさせないかもしれない。それは本人が望んでいることではなく、ただ、深い意味もなくそうしていることを、これまたぼくは知っているからだ。だからそんなときには、ぼくは彼に、こういう遊びや体験のほうがエネルギッシュだし、楽しいよとすすめるだろう。

夜にもぼくは彼にアドバイスすることは多い。これまでの人生経験から、夜更かししても、日中に終わらせられなかったことは、やっぱり終わらせられないからもう寝よう、とやさしく諭すはずだ。目的もなくネットサーフィンをし続けていたら、明日を早く始めるために、やっぱり寝ようと誘うだろう。

あるいは、なにかに打ち込み、そして挫折しそうになっているときには、大丈夫だ、きっと上手くいくと、励ますはずだ。なぜなら、重要なのは才能ではなく、続けることだし、熱心に向き合い続けることだともぼくは知っているからだ。

じぶんを他人のように感じ、扱い、生きていくことは、実際的にはむずかしい。けれど、ぼくがぼくを、あなたがあなたを、それこそ大親友や恋人や尊敬する先生のように接し、彼らにそうするのと同じように過せたなら、ぼくもあなたも、きっと、もっとうれしい。

イデトモタカ