ESSAY

2017-06-13

迷いまいまい。

ぼくは文章を書くのが遅い。と、じぶんでは思っていた。実際遅い文章もある。けれど「カシミア」やツイッターや仕事で書く広告文なんかは周りが驚くほど書くのが速い。この違いはなんなのだろか、と考えていて、昨日わかった。書くのが遅い文章は、書くのが遅いのではなくて、書こうかどうか迷っている時間が長かったのだ。

変な話だけれど、かなりの人の、かなりの行動に当てはまるのではないかと思う。例えば英語が話せるようになりたいと長年願いながらも話せるようになっていない人は、つまり英語の勉強をしていないわけだけれど、それは学習速度や吸収速度が遅いのではなく、英語を(ほんとうに)勉強しようかどうか迷っている時間が長いのだと思う。

本を読むのが遅い人にしても、文字を追いかけるスピードが遅い、ということもあるだろうけれど、文字を読み慣れているのに、例えばネットサーフィンのときは文字をさっさとさっさと追いかけて速く読めるのに、本では遅いという場合は、それもぼくからすれば、その本を読むかどうか、読むべきかどうかに迷っている気がする。

ぼくらはすぐに意味を求める。意味を確かめたくなって、意味を感じたくなる。だから「これは意味があるだろうか?」と、脳が少しでも考えていたら、なかなかその行動をとることができない。なんだかんだ、だらだらと、先延ばしにして、最終的にはやらないことがほとんどだ。

もっともっと大げさにいってしまえば、ぼくらの人生は決して短くはないけれど、どうするか迷っているとすぐに終わってしまう。たぶん、それだけのことなのだ。なにをしても正解はない。意味なんてない。いっそ、そう割り切ってしまえば、なんだってやれるような気がする。好きなことを、やりたいことを、やればいいのだ。

80年、90年は短くない。でも迷っていても終わる。

イデトモタカ