ESSAY

2017-08-02

祈りに似た。

期待を裏切られたとしても、相手は悪くない。期待したあなたが悪い、ともぼくはあまり考えたくない。ではなにが悪いのか。いやきっと、悪者を探すことが間違っているのだ。

子どものことからぼくらは、悪者探しに必死だ。悪いやつが見つかれば、見つかったそのときに、じぶんは悪者でないことを証明できる。それが周囲への証拠になる。だからぼくらは悪いやつを探し、攻撃をする。本能だとしたら虚しいけれど、人間だから、克服もできる。

ぼくは人に期待しないことにしている。ついしてしまうこともあるけれど、できるだけ、期待はしない。裏切られたときにがっかりするから、というよりも、そういうこととは無関係に生きたいから。期待はぼくの人生や生活に祝福をもたらしたことがない。だとすればそれに、どうして縋ろうか。

ぼくはきっと、あなたの期待に応えない。というか、応えられない。心情としては、そうしたいと願っている。けれど、あなたはひとりではないのだ。あなたはたくさんいらっしゃる。

それでも、期待される存在として生きていく道を選ぶかどうか。問題はそこなのだ。あなたはどうだろう。親として、子として、友人として、恋人として、上司として部下として、様々な、様々な立場から人から期待を受ける。応えなくていい、そんな義務はない。応えてもいい、その権利はある。

だれかいようがいまいが、祈りに似た日々が送れますように。

イデトモタカ