ESSAY

2017-10-13

冷めて。

この人はじぶんにどこまでしてくれるか。じぶんはこの人にどこまでできるか。その度合いの差をふとしたときに感じたら、途端に風に吹かれたように冷めてしまったりする。

じぶんが思っていた以上に相手がなにかをしてくれるということは、親や兄弟やそういったレベルの関係でなければほとんどないのではないかと思う。むしろ、親のそういう「すごさ」にふれたとき、ようやくこころから感謝ができたり、ありがたさがこみ上げてきたりする。

反対に、親しいと思っていた相手との、じぶんができることと、相手ができることの差は、悲しいかないつもちぐはぐなものだ。そしてたいていはがっかりすることになる。でもそれは同時に、じぶんもどこかのだれかをがっかりさせているということかもしれない。

ぼくは期待する生きかたがあまり好きじゃない。好きじゃないというよりは、好まない。好まないというよりは、得意じゃないのかもしれない。けっこうがっかりしてきたから。でもそれはぼくが期待してきたからで、その分いやそれ以上にぼくもきっと、だれかをがっかりさせてきたのだ。

なにか「いいこと」を書きたいわけじゃない。そういう事実があることを思い出しただけ。他人は変えられない。じぶんは変えられる。期待はするものじゃない。ただじぶんは勝手に応えればいい。

神様とか、仏様とか、そういう話ではなくて、見てくれている人はいるものだ。あなたがその人に出会えるかどうかは知らない。くさっても仕方がないから、明るくできれば元気に、さらに願うなら笑顔でじぶんを変えていく。じぶんが変われば世界が変わる。シンプルでありがたいルールじゃないですか。

イデトモタカ