ESSAY

2017-10-31

愛とお金。

のこされた人に迷惑をかけてはいけないけど、できるだけいつ死んでもいいように生きられたらと思う。もっとこうしてあげればよかったと思うのは、相手が先に死んだときだけでなく、じぶんが先に死んだときだってそうなのだ。どちらにせよ、もうなにもしてあげられないのだから。

そうすると、いまじぶんにとって大切な人を、できるだけ(目に見えるように)大切にしようとなる。そしてそれは、ことばや態度で伝えることもそうだけど、お金や時間を相手のために使うことになる。ぼくの師匠の師匠はこう言っていた。

「愛はお金じゃない。でもお金は愛だ。」

愛イコールお金では決してないけれど、お金は愛を表現する表現方法の一つだ。間違いなく。だから相手のよろこんでくれることをする。相手がよろこんでくれることにお金をつかう。じぶんが破滅しない程度に。

ぼくはいま独り身だから、それが自由にできる。のこすべきものもないし、死後なお養う人もいない。だから死んだとき、ぼくのお金はゼロでいい。ゼロだからといって、だれもなにも言わない。毎月毎月、収支ゼロでいい。むしろそうしたいと思うくらいだ。ためらわず、できる範囲でできるだけ好きな人たちに、好きだということをかたちにしたい。

でも、いつか養う人ができたり、子どもができたり、そういう「のこしたい相手」ができたとき、生きるのが少し複雑になるような気がする。毎月収支ゼロではまずいだろうし、なにをどのくらいのこしたらいいのかわからない。でも大切な人たちにつかえたはずのお金を貯めたまま、死んでしまってもなんだかつまらない気がする。

もう少し歳をとったり、生活に生活感がましたら、思うことも変わるのかもしれない。ぼくはまだふわふわ宙に浮きながら生きている。ふわふわ時間を漂って、夜の10時にここに戻ってくる。

イデトモタカ