ESSAY

2017-11-26

住人。

星野源さんは、悲しいや寂しいや、切ないのなかに、可笑しさや明るさや未来への光を見つけて歌えるすばらしい人だとすれば、あなた(イデトモタカ)は楽しいや明るいや幸せのなかから、憂いや寂しさや切なさを拾ってくる。

そんなふうに言われました。もしそのとおりだとすれば、需要はずいぶんと少なそうです。でも、ゼロではないのだろうとも思います。現にそうだと知りながら、そのにおいを感じながらも、読んでくれているあなたみたいな人が、少なからずいらっしゃいますし。

ぼくは文学の一つの目的は「孤独の共有」だと考えています。ここが一般的なエンターテイメント作品とは違う部分だとも理解しています。「カシミア」で書いている文章を文学だとはとても思ってはいませんが、ただの娯楽と割り切ってもいません。

ああ、この感じ、わたしにはわかる。この気持ちは、きっとぼくにしかわからない。そう思わせられるのが、いい文章だとぼくは教わってきましたし、じぶんでも確かにそう思います。

ぼくの目は、幸か不幸か、そういうふうにしか世界が見えないのです。つまり、冷たい暗い場所から小さな光や未来への希望を見つける目ではなく、明るいみんなが笑っている場所で、笑えていない人や、そもそもそこに来られなかった人の影を見る目です。

悲しいとは思いません。それがぼくの住んでいる世界ですから。寂しいとも思いません。そんな世界にだって住人がいますから。特徴とは、いい、わるい、というものでなく、ただの遊び道具ですから。

無理して明るい光を見たって目が痛いだけで。

イデトモタカ