ESSAY

2017-12-04

ぱさぱさ。

突然、新しい世界に飛び込むことがある。あるいは世界の方がやって来るのか。たとえば好きになった人や、好きな人の家族が野球が大好きだったとする。あなたは野球にまったく縁も関心もなく過ごしてきた人生だったとしても、どうにか野球を理解しようとするかもしれない。野球をおもしろいと思う努力をじぶんに課すかもしれない。そうすることで、好きな人をより理解して、好きな人の家族にもより愛されるかもしれないのなら。

それでうまくいく場合もある。おもしろさに気づけて、波長が合って、なるほどこんな世界は知らなかった。すごくおもしろいな楽しいなと、じぶんの世界にできる場合もある。けれどいつもいつもそうとも限らない。これはどうも合わないぞ、タイプじゃないぞ、しっくりこないぞ、という場合だってもちろんある。むしろそういうことの方が多いのではないか。

そのとき、それでも愛の力によって、新しい世界を飲み込もうとする人もある。けれどあまりおすすめできない。3つの嘘を重ねて3重にじぶんを苦しめることになる。

信じていないものを信じていると言う。おもしろくないものをおもしろいと言う。あなたは認めないかもしれないが、好きな人や好きな人の家族の前で、彼ら(彼女ら)と自らのためにそう振る舞うことは1つめの嘘になる。

そして、彼ら(彼女ら)にとっての素晴らしいものを、じぶんも素晴らしいものだと思おうとする。これが2つめの嘘になる。

最後に、信じていないじぶんを、おもしろいと思っていないじぶんを知りながら、それはじぶんが間違えている、そんなじぶんではいけないと否定する。これが3つめの嘘になる。それぞれの嘘はじぶんのなかにズレを生み出す。

1つめの嘘は言動の不一致だ。
2つめの嘘は価値観の不一致だ。
3つめの嘘は人間性の不一致だ。

そうしてじぶんのなかで不一致が重なって、こころがばらばらになってしまう。こころがばらばらになると、感情が制御できなくなってしまう。急に涙がぽろぽろ流れたり、なんでもないのに悲しくなったり怒ったりする。栄養が行き届かないから世界がぱさぱさになる。

ぼくらは誰かの期待に応えるために生まれてきたのでも生きているのでもない。だからほんとうは好きにしたらいい。でも、好きな人に(もっと)好かれたいと思う、期待に応えたいと思うのも人なのだ。わかっていながらそれでもぼくは同じことを言う。

みんな好き勝手にじぶんの都合で期待してくる。あなたは応えてもいいし、応えなくてもいい。でも、こころがばらばらになって、人生がぱさぱさになるような期待には、ぼくは応えなくていいんじゃないかと思う。きっと他の場所で、別のものごとで、うまくたのしくやれる方法や道はあるものだ。

イデトモタカ