ESSAY

2017-12-15

勝手にどうぞ。

「いい意味で」ということばは、非常に便利で、乱用されるとなにがなんだかわからなくもなりますが、あえて使ってみようと思います。

いい意味で相手の気もちを考えない人になるのがいいぞと感じています。いつもいつもではないにせよ、ぼくは時々相手の気もちをあえて考えずに行動します。そして、それでいいと思っています。

がさつになっていいだとか、無神経でも構わないとか、傍若無人どんとこいというのではなく、相手の気もちを考えるばかりに、がんじがらめになってなにもできないということがあるからです。

そうなるくらいなら相手の気もちなどはじめっから考えなければいいです。相手からどう思われるかわかりませんが、そんなものは元からわからないのですし。

例えばだれかにお礼をしたいとしましょう。でもあなたはそれほど親しいわけじゃない。適当に電話して「おっす」なんて気軽に言える間柄じゃない。しかも相手は忙しい人だし、地位もあるからいちいちじぶんには構ってられないと思う。

そうなると、お礼をしたい気もちはあってもなにをしても迷惑なような気がしてきます。それで悩んで考えてけっきょくなにもしないということになるくらいなら、相手の気もちなんて考慮せずに、電話したければすればいいし、なにか贈りたいなら贈ればいいと思います。どちらにせよ相手の気もちは不明ですから、じぶんが納得する方法を選ぶ方がましです。

たしかに夜中に電話をしたり、毎日毎日訪ねたりというのはずいぶん迷惑ですからやめたほうがいいですが、なにかしたいけど迷惑だろうか、という場合には勝手にしていいものです。ぼくはそうして困ったことになったり、ひどく叱られたり注意されたり、関係が悪くなったことはありません。感謝されたことはたくさんあります。

うまいニュアンスで伝わっていれば幸いです。もっと自由に勝手にやればいいですよ。もちろん、いい意味でね。

イデトモタカ