ESSAY

2018-01-07

葛藤。

らしくないじぶんを取り繕うのは、人ですからありますとも。良く見せたいと願うのは、なにもぼくやあなただけではありません。けれど、らしくないじぶんが受け容れられてしまったら、ややこしい問題と向き合うはめになります。すなわち、そっちをじぶんとして自ら染まっていくのか、はたまた、ごめんなさい違うんですといって、自然体のじぶんを打ち明けるのか。

生の人間関係だけでなく、文章を書いているときにも、恐らくは歌っているときや話しているときや、踊っているときなんかでも、そういう葛藤はあるものです。

こうしたほうがウケが良さそうだ、というのはなんとなくわかるものです。その判断が正しいかどうかは別として、人はそういうことを感じてしまいます。そのときに、ちょっと寄せてみて、ああやっぱり違うなと思って諦められたら、ほんとうは幸せです。

一般受けしなさそうだったり、今どきっぽくなかったりしても、それがじぶんなのだから仕方がないと、割り切って諦められたら、もうあなたでいるしかありませんから、じぶんを偽ることがないという面では、けっこういいことだと思います。

反対に、変に装ったものがウケたり、うまくいったり、評価されたりしたらあら大変。これまでの努力は報われるかもしれませんが、それは(今のところ)じぶんではありません。じぶんらしくはありません。つまり問題が浮上します。「じぶん」をどっちにするのかと。

つくった「じぶん」をじぶんとして、違う人間になるのも成長です。ナチュラルなじぶんに磨きをかけて、他のものにはなれないと諦めながら笑い、じぶんのままでもがくのも成長です。

人はけっこう変わることを期待してきます。ぼくは、うーん、どちらでもいいと思います。「じぶん」なんて、ふわふわしていて、あるようでないようなものですから。それでもぼくは、じぶんが愛せるものをじぶんとしてやっていきたい所存です。

イデトモタカ