ESSAY

2018-07-22

共同でなく一緒に。

親しい人とはついつい「一緒に」なにかをしたくなるけれど、必ずしも「一緒に」ということは、「共同で」という意味とは限らない。ぼくには十年来の親しい仲間がいるけど、なにかを共同でやってこれまでにうまくいったことはほとんどない。でも気が合うものだから、ついつい共同でやろうと考えていた。それが「一緒に」ということだと思い込んでいたから。

けれど最近になって、一緒になにかをしたいねという方針自体はなにも変わらないのだけれど、それは「共同で」ではないのではないか、別に「ばらばらに」一緒にで、いいのではないかという結論が出た。これは極めて発展した結論だった。

それからぼくらは、一緒になにかをすることにしたけれど、共同でやるのはやめにした。そのかわりに、ときどき連絡して「どう、やってる?」と確認し合ったり励まし合ったり、アドバイスし合うことにした。そうすることで、きっと、ぼくらは前よりも進んでいくはずだ。

一緒にがんばるということは、同じ道を歩くということではない。ぼくはがんばる。あなたもがんばる。ただそれを互いに意識して称え合う。それも十二分に「一緒に」なのだ。

ぼくとあなたが「共同で」なにかをするということはないかもしれない。でも「一緒に」生きてはいるつもり。こうして今日も来てくれて、ぼくの文章を読んでくれて、あなたがちょっとでもなにかを感じて、前に進む気になったのなら、ぼくらのしていることはばらばらだけど、「一緒に」生きているといえるはず。

家族だってそうでね。「一緒に」生きているに違いはないけど、ばらばらで、それでいい。

イデトモタカ