ESSAY

2009-04-12

娑婆で生きる。

「娑婆」は「シャバ」と読みます。昔の映画やドラマなどで、服役中の男が「シャバの空気が吸いたい」や、やっと釈放された人が「シャバの空気はうまい」なんていうときのシャバ(娑婆)です。

このイメージから、「娑婆」ということばは俗世間や、自由な世界を表すことばのように思われがちです。けれど、本当はそうじゃないそうです。

ぼくも、あなたも、みんな娑婆の世界で生きています。たしかに仏教では「人の住む世界(社会)」を娑婆と呼びます。ですが、この「娑婆」ということば、もともとはサンスクリット語で「忍耐」という意味だといいます。ぼくはそれを知ったとき、はっとしました。

ぼくらは、ものごとがじぶんの思いどおりにならなかったとき、「不幸」を感じます。けれど、そもそも、大勢の人が暮らしていく以上、すべてがじぶんの思いどおりになるなんてことは、ありえません。むしろ思いどおりにならないからこそ、人は多くのことを学んで、努力して、そして感謝のこころがもてるようになるのだと思います。

社会で起きている多くの事件は、じぶん勝手なものばかりです。しかし、ぼくらは「娑婆」で生きているのです。そしてそれは、制限のない「自由な世界」ではなくて、「忍耐を学ぶゆえの豊かな世界」なのです、きっとね。

それをみんなが再認識したときに、思いやりのある、豊かな世界の扉が開かれるんじゃないか、なんてね、思います。

ぼくらは生きている、つまり、生かされている。「この世に客に来たと思え」という箴言がありますが、それをこころの芯におくと、そうそうなことじゃ、身勝手な気もちにはならないかもしれないですね。出されたご飯はなんだって、ありがてぇ、なのです。

イデトモタカ