ESSAY

2010-06-30

ドロップアウトのえらいひと。

あるとき仲間の一人が、四国のじいちゃんのところに行きました。そのじいちゃん、かつては凄腕の実業家で、相当な財もなしたそうですが、いまは故郷でのんびりと暮らしているそうです。

大きな一軒家に住み、畑があって、いくつか広い土地ももっている。

そんなじいちゃんの生活は、朝早くに起きて、じぶんの畑で野菜を収穫し、それを食べて昼前には町に出て、おなじような生活のともだちと喋って、飲んで、帰ってきたら大好きな野球をテレビで観て、寝る。

こんな感じだそうです。

所有している山につれていってもらった仲間(孫)は、そこでそれは立派な桃を見せてもらいました。

傷もなくきれいで、大きくて、そしてとてもとても甘い桃。売れば1個500円以上の値がつく代物だとか。それが、見渡す限り、数百個もなっていました。

仲間はいいました。

「じいちゃん、この桃、いつもどうしてんの?」

じいちゃんは答えました。

「いつも村の仲間にあげとる(配ってる)」

驚いた仲間は訊ねました。

「どうして売らないの!? 売ったら大儲けできるのに」

じいちゃんは不思議そうに答えました。

「なんでそんなことせないかん? 金にしかならんのに」

仲間はハッとして黙りました。

どうせ、お金にしかならない……。これ、すごい価値観です。もう、完全に、ゲームから「あがって」ます、じいちゃん。

そうなんですよね。じいちゃんは食べものがあって(それも新鮮でおいしい)、毎日でも話して一緒にお酒が飲めるともだちがいて、大好きな野球を観るためのテレビがあって、たまに遊びに来るかわいい孫や家族がいる。

だから、どうせ「金にしかならない」ことなんて、面倒ですし、別にやる必要も理由もないわけで。

じいちゃんにとっては、桃を大金に換えるより、桃をもってともだちの家に遊びに行くほうが、その何倍も価値がある。だから、やらない。

「なんでそんなことせないかん? 金にしかならんのに」

ぼくのなかに、新しい価値観が生まれた名言でした。すごいよ、じいちゃん。

イデトモタカ