ESSAY

2010-12-05

欲求とボストンバッグ。

【ケース1】
じぶんはなにものなのか。なにをして生きたくて、なにが欲しいのか。その欲求を、衝動を、みたすために、実現するためにほんとうに必要な荷物は、ちょっと大きめの鞄一つに、それこそボストンバッグに充分入りきるんじゃないかろうか。また買えるものは、どこにいったって、いるときがきたらまた買えばいい。もう買えないんじゃないかってものは、安定に居座らないように、チャンスとリスクに飛び込んでいけるように、腰が重たくならいない程度の量を、吟味して鞄につめていけばいいと思う。そう考えれば、いつゼロになっても、その荷物さえ死守していれば、他のものはぜんぶなくなったとしても、いいんじゃない?

【ケース2】
生きるために必死になってるわけじゃない。つまり、人生を豊かにするものは、本来、人生にまったく必要のないものだ。日本刀も、ペルシャ絨毯も、シャンデリアも、ドン・ペリニヨンも。なくたってまったくかまわない、困らない。けれど、その余分なものが、人生を豊かにする肥料になる。日本刀も、ペルシャ絨毯も、シャンデリアも、ドン・ペリニヨンも、ものそれの役割以上に、たんに所有することに、たんに消費することに、そこに、意味がある。それはときに彩りとよばれ、愛される。つまり、愛すべき人生になる。

ぼくはよくこのふたつについて考えます。矛盾してるじゃないか、という人もいれば、そうなんだよね、という人もいます。ぼくの実感としては、大切なことはたいてい矛盾の要素をはらんでいることが多いです。それを当然としてお腹におとせるときが、それぞれふと訪れると思うのです。そしてその時々を、成長と呼んでいる気がします。

イデトモタカ