ESSAY
2010-12-22
よくなりますように。
しっかり、あるいはきっちり、している人っていうのはなにかにつけて、じぶんのなかできちんとした「定義」ができているんじゃないかと思います。
たとえば、部屋がきれいということは、なにをもってそういい切れるのかという線、商品が売れているかどうかを判断する場合、どこのなにを指標にそういうのかという線。もっとあやふやな問題だと、考えがまとまっているというのは、どこのラインをクリアしていればいいのか? じぶんがいまうまくいっているというのは、なにが達成されていればひとまずOKなのか? かかげた夢に1mmでも近づいているかどうかというのは、どこをみればいいのか……?
これらを「判断」し、ときに「改善」なり、「修正」なりをほどこすには、あらかじめの「定義」がなければできません。そして定義ができれば、ポイント(焦点)のあった行動の変化ができるんじゃないかなぁと思います。そしてそれは、なにより重要なことなんじゃないかなとも、感じてます。
じぶんにかかわる大切なことを、いちどゆっくり時間をかけて定義してみる。この活動は、シンプルにして効果大、というなんともあやしい投資になると思いますぜー。よくこういう提案をするぼくじしん、ぜんぶがぜんぶできてるわけじゃなかったりしますが、これはね、いまからでもやってやります。きっと「前から知ってた大切なこと」なんですが、ようやく実感として重要性にきづいたんだなぁ。いつだっておそいんだよねー、ぼかぁ。ふぅ。
イデトモタカ