ESSAY

2011-04-24

気もちのいい罪。

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 デザイン家具も使い心地は悪いし、フェラーリも乗り心地はよくないしエンジン音がうるさい。だが、(中略)欠点がまったくなく、なんら精神性を感じられない製品というのは、「何も知らない人たち」のためのものなのだ。

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これはきのう読んでいた本に登場した一節で、とてもぼくのこころに届いたものです。J.N.カプフェレとV.バスティアンの共著なのですが、まったく、どきっとする表現です。

彼らは、高級料理をつくるためにもっとも必要なものは、最高の食材でもなく、最高の料理人でもなく、最高の美食家だといいます。消費されてはじめて、生産は完了する、と。

貴族のような選ばれた人たちだけじゃなく、みんながおなじように「いいもの」を持てる時代になりました。この国でUNIQLOや無印良品が果たした功績は偉大です。でもそれらの製品に、情動を揺さぶるような神秘的な霊気(オーラ)があるかといわれれば、ないです。ただただ、シンプルで、スマートで、いいものです。そこに価値があり、そこに価値を感じることも、また、価値観としてすばらしいと思います。そういう方々を、ぼくは「何も知らない人たち」と言い切る気迫をもってはいませんが、個人的に「知っている」側に惹かれるんです、ただそれだけ。

冒頭の文章、人によってはイラっとするでしょうね。ぼくは、どきっとしましたけれど。そしてぼくは、やっぱり、デザイン家具や、フェラーリの方が、なんだか好きなタイプです。人でも、そうで、長所も、欠点も、ある人に惹かれます。「知っている(知ってしまっている)」というのは、気もちのいい、罪のような気がします。

イデトモタカ