ESSAY

2011-06-03

枯れない泉により添う。

毎日こうしてことばをだしてると、いつかことばの泉が枯れてしまって、もうなにもでてこなくなるんじゃないか、なんて思ったりもしそうなものだけど、じっさいは、そんなことはぜんぜんない。2つの意味で、ぜんぜんない。あたらしいことばは毎日でてくるし、そういう不安もまず、こころに浮かばない。

音楽をつくってる人も、絵を描いている人も、それを知っていると思う。もし枯れてしまうようなことがあれば、それは無理をしていたんだろう。

ある脳科学者がいっていた。「創造性とは、経験と意欲のかけ算だ」って。だから、もしあなたの大切な泉から、湧きでてくるものがなくなったときは、それはあなたがもうそんなに、その水を汲んでなにかをしたいと思わなくなったときなのだ。

水が泉から湧きでることと、その水の「よしあし」は、それぞれ別の法則にのっとっているのだ。これをいっしょくたに考えるのは、きっとよくない。いい水が湧きでてこないのと、そもそも水が湧きでてこないのとでは、トイレの水が流れないのと、そもそも水を流すボタンがないことくらいに、べつの問題なのだと思う。

愛されたいとか、認められたいとか、喜ばれたいとか、役に立ちたいとか、ただただ表現したいとか、そういう思いがあるかぎり、泉は枯れずにあなたをうるおすはずなのだ。水のよしあしは別にして、そのチャンスはくれるものなのだ。

イデトモタカ