NOVEL

楽園


 エフは人を探しているふりをして、のぞきこんだ。斜め前で老夫が、両手でカメラを構えている。文庫本ほどの液晶モニターには、ベンチに並んで座る、顔のよく似た三姉妹が映っていた。髪型と服装の趣味が違うものの、三つ子のようだ。
 レンズが向けられた先、被写体の三人にエフは視線を移す。エフは口を開き、思わず声を上げそうになるのを我慢した。
——大したもんだ。
 色の褪せた黃色のベンチに腰掛け、ポーズを取っていたのは、確かに三人の女性には違いなかった。しかし別人だった。
 左の少女だけはそのままだ。けれど、右に座っていたのは少女の母親らしき中年の女性で、真ん中で穏やかに微笑んでいるのは老婆だった。液晶モニター上ではベンチの黃色も、新品のように鮮明だった。
「おじいちゃん、どう?」
 少女が駆け寄る。母親と、そのまた母親らしき二人も、顔に笑みを浮かべたまま、おじいちゃんと呼ばれたカメラマンのもとに歩いていく。
 辺りを見渡すと、足元に人工芝が敷かれた半径十メートルほどのエリアは、同じような家族連れであふれていた。
「いかがですか?」
 販売員らしき男が、顔を寄せ、液晶モニターを見て話し合っている、先ほどの四人に声をかけた。エフはまたも連れあいを見失った演技をしながら近づき、聞き耳を立てた。
「いやあ、すごいですな」
 カメラの液晶モニターを見ながら、老夫が答えた。販売員は満足気に頷く。
「お試しいただいた巻き戻しカメラは、独自のアルゴリズムによって、選択した対象の過去の姿を撮影することができます。オートモードなら、レンズに映るすべてを均一に任意の年数分巻き戻し、マニュアルモードなら、個々に選択した年数を、ばらばらに巻き戻すことが可能です——おや、もう使いこなされているようですね」
「何かお探しですか?」
 声に振り返ると、エフの前には、わざと古びたワンピースに身を包み、「巻き戻しカメラで私を撮ってください」というたすきを掛けた、若い女の販売員がいた。
「いや、ちょっと、どんなものか気になって」
「こちらのショッピングモール一階、メイン広場での実機お試し販売会は明日までですが、弊社のウェブサイトからは、いつでもご購入いただくことができます。まだお悩みでしたら、パンフレットをどうぞ」
「電子パンフレットはある?」
「もちろんです。こちらのタブレットにメールアドレスをご入力ください」
 エフはタッチパネル式のタブレット型端末に、両手でメールアドレスを打ち込みながら、ネットニュースで読んだ記事の内容を思い出していた。開発者として特許を取得したのは個人のプログラマーだった。機能はもちろん、まだ若かったことでも世間を驚かせた。自分と同じ年齢だった、とエフは記憶している。さらに、記事には世界的な家電メーカーと特許使用に関する独占契約を結び、一夜にして百年働いても稼げないような大金を手に入れた、と書かれていた。ここ数年で一番のアルゴリズム・ドリームだった。

 特設の販売ブースを抜けるとき、幼い男の子と、母親の声がエフの耳に入った。
「ねえママ、未来が見えるカメラはないの?」
「未来はね、先のことだから見えないの。それに、見ちゃいけないことになっているのよ」
「どうして?」
「うーん、未来のことがわかったら、つまらないでしょう?」
 エフは閃いた。未来カメラ。そういえば聞いたことがなかった。どうして気づかなかったのだろうかと思った。
 気分転換の散歩を予定よりも早く切り上げ、早足で事務所に戻る。巻き戻しカメラと同様に、展示即売会をしていたコールド・スリープのブースを横切り、地球浄化募金の学生たちを無視して出口へ急いだ。

     *

 エフの事務所は自宅と兼用だった。友人と共同生活を送り、どちらもフリーのプログラマーとして生計を立てていた。
「おかえりー」
 飼い犬とじゃれ合っていた同居人の挨拶にも気づかず、ドアを開けるとエフはすぐにコンピュータの前に座った。そして「未来カメラ」と検索をした。それらしい商品はどこも出していなかった。
——やっぱり、ない。
 エフはますます興奮した。送られてきていたパンフレットに目を通し、細かな仕様から、どういうプログラムで実現しているのかを汲みとっていく。そして、デスクの横のホワイトボードに思いついたアルゴリズムを殴り書きしていった。おおよその見当をつけたところで、実際にプログラムを書きはじめた。

「だめだ……」
 日が沈み、外が暗くなるまで格闘したものの、肝心の時間を操作する部分がどうなっているのか、どうしてもわからなかった。
「仕事?」
 エフの溜め息のような声に、同居人がモニターの前にやってきて訊いた。エフは首を振り、ようやく事情を説明した。
 なるほどね、と呟いた同居人は、
「特許が取られているんだったら、特許書類を見れば?」
 と言った。エフはまた首を振る。
「見たけど、こういう理論で可能だと書いてあるだけで、肝心な部分は隠されてた」
 そりゃそうか。と同居人は顎をさわりながら天井を見上げる。そしてたっぷりと間をとってから言った。
「危険だけど、あそこなら、いるかもよ。もう、ばらしたやつ」
 同居人の言っていることが、エフにはすぐにわかった。
「——ああ。あそこか」
 QQQと呼ばれる、プログラマーのコミュニティーサイトの裏掲示板のことだった。そこでは様々なプログラマーが、腕を競うように匿名で解読したアルゴリズムやプログラムを違法に公開・配布していて、時々逮捕者も出ていた。アップロードだけでなく、違法プログラムをダウンロードすることも、もちろん罪になる。
「その前にだけど、未来は、さ。ダメじゃん」
 同居人の言葉に、ショッピングモールにいた、子どもに説明する母親の声がエフの脳内で蘇った。
——未来はね、見ちゃいけないことになっているのよ。未来のことがわかったら、つまらないでしょう?
 後半は、子どもを説得するための方便に過ぎなかったが、前半は事実だった。職業柄、エフは本当の理由を知っていた。

 衝撃的な法律だった。施行されたのは五年前。一部の許認可を得た組織や機関以外での、未来視に関する研究や制作は禁じられることになった。この法律の施行により、未来がわかることを売りにしていた、多くの企業は廃業に追いやられた。
 しかしながら、その九割以上は詐欺まがいの商品やサービスを販売している悪徳業者だったため、反対のデモや抗議はほとんど起こらなかった。稀に起こったとしても、公には報道されず、すぐに沈静化された。未来視研究に最も熱心に取り組んでいる大学の研究機関などは、政府が事前に許認可を受け付け、滞りなく許可証を発行していたため、問題は大きくならなかった。許認可は個人でも申請内容次第で取れないことはなかったが、商業利用となると手続きがひどく煩雑になることは知られていた。
 不明確な情報により、未来への不安を不必要に煽られたり、虚偽の情報に惑わされるリスクを回避するため、というのが政府側の理屈になっている。

「特許申請をして、すぐに許認可を持ってる組織や企業に販売すれば問題ない……かもしれない」
 とエフは言った。同居人は、嫌いなピーマンとにらめっこをしている子どものような顔をしたものの、なにも言わなかった。
「それより問題は、こっち、だなあ」
 エフはQQQの裏掲示板にアクセスし、表示された上級者向けのプログラミング問題を、同居人が作ってくれたカップ麺をすすりながら、いとも簡単に解いた。QQQは暗証番号やパスワードの代わりに、毎回異なる——一般人には意味不明の——プログラミング問題を表示し、完璧に回答できた場合にだけ、なかのページを閲覧できるようになっていた。一時間経過すると、強制的にログアウトが行われ、再び問題と対峙しなければならなくなる。
 QQQの存在は——アクセスこそできないものの——誰もが耳にしたことがあり、警察とのイタチごっこは延々とつづいていた。そのため、サイト内での検索も、隠語のような奇妙な文字列が使用され、万が一にも非プログラマーがたどり着いても、有益な情報が得られる可能性はほとんどなかった。
 エフは少し伸びた麺をすすりながら、ロシア語を学んだ日本人がインドネシア語の文字でドイツの友人にメールを書いているような、無国籍な文字列を何度か打ち込んでいく。七回目で、エフの指が止まった。
「……これだ」
 思わず振り返ったが、後ろの席に同居人の姿はなく、どうやらもう自室で眠りについているようだった。集中しているエフに気を利かせたのか、犬もいなかった。

 アクセス元を偽装し、それをさらに偽装して、エフは巻き戻しカメラのソースコードが入った圧縮ファイルをダウンロードした。解凍するには、複雑な数学パズルを解く必要があった。出された問題の難易度はかなり高く、エフが正しい答えを導き出したのは、同居人が起きて犬の散歩に行き、帰ってくる少し前だった。
 それから五日間、エフは巻き戻しカメラの解読、そして時間を未来に早送りするための変換に没頭した。コンピュータのない自室には一度も戻らず、眠くなると熱いシャワーを浴び、眠気と疲労が限界に到達したときにだけ、椅子にもたれて仮眠をとった。作業がある程度進むたび、同居人にプログラムの確認をしてもらい、自身のコンピュータ内で擬似テストを行った。
「でき、た」
 エフがつぶやき、驚いた同居人がモニターをのぞき、膨大な量のソースコードを上に下に、何度もスクロールした。
「すごい。確かに、これなら……」
 脱力し、椅子にもたれようとしたエフの肩をたたき、同居人は眠る前に一刻も早く電子特許申請をしておくべきだと言った。さらに同居人は、部屋から旧式のカメラを持ってきて「使っていいよ」と手渡した。液晶モニターのついていない、いまとなっては珍しい型だった。
 エフは急いで電子特許申請を出し——早送りカメラと名付けた——、未来を見ることができるプログラムを、同居人のカメラへ転送した。膨大なプログラムのため、転送には三時間以上かかりそうだった。それを確認したエフは、転送開始ボタンを押すと、気絶するように眠りについた。

     *

 犬の吠える声でエフは目覚めた。
「……うるさいぞ、どうした」
 玄関のドアに向かって犬は吠えつづけた。モニターに目を遣ると旧式カメラへのプログラムの転送が、ちょうど完了しようとしていた。九十四パーセント完了、九十五パーセント完了——。
 強い力で二度、ドアがノックされる。
 同居人が席を立つ。だれだろう、と言いながら入り口に向かって歩く姿を、エフはぼうっと目で追いかけた。同居人がドアを開ける。九十七パーセント完了、九十八パーセント完了——。
「はい」
 黒いスーツに白いシャツ、黒いネクタイに黒い革靴。喪服のような出で立ちの男が二人立っているのが、エフの席からも見えた。
「あなたがエフさんですか?」
 九十九パーセント完了。
「あの、どのようなご用件で?」
 背の高い男がスーツの内ポケットから、なにかを出して同居人に見せる。
「公安警察です。エフさんにQQQでの違法プログラムのダウンロード、及び無許可での未来視研究の容疑がかかっています。任意同行をお願いします」
 同居人がエフを振り返る。
「え、あの」
 百パーセント。プログラムの転送が完了しました——。エフは乱暴に旧式カメラとコンピュータを繋いでいたコードを引き抜くと、カメラを手に入り口とは反対の窓に向かって走った。窓の外は道路を挟んで自然公園が広がっている。窓を開け、枠に足を掛ける。
「裏に回れ!」
 公安警察を名乗った男が怒鳴り、自身も走る。
 エフは必死に足を動かしながら、カメラを再起動させる。揺れる手元に苛立ちながら、時間の早送り設定をする。走りにくいと思ったら、室内用のスリッパを履いていた。
「いたぞ!」
 背中から怒声と、地面を蹴る何人かの足音が聞こえる。むきだしの踵や踝に、緑の芝がくすぐったくふれる。
「早送り設定、百年後、セットしました」
 音声アナウンスが鳴った。特許も、お金も、酸欠気味のエフの頭からは、消えてなくなっていた。ただ、自分のプログラムが本当に成功したのかを確かめたかった。五日間休みなくプログラムを書いた早送りカメラを使い、未来を見たいという願望だけが、本能のようにエフを呑み込んでいた。目の前にはところどころ茶色の土が見えている草原と、数本の木々、先にひょうたん型の池がある。エフは息を切らしながら、右目にカメラのファインダーを押しつけた。
「え——」
 足への力が緩み、もつれ、エフは崩れるように転んだ。カメラが手から離れ、サイコロのように地面を何回転かする。どこにも力が入らず、全身から血液を抜き出されたように、エフはその場から動かなくなった。
「連行しろ」
 同じ服装をした、四人の黒いスーツの男たちが追いついた。手錠をかけ、二人がエフを両側から挟み、引きずるようにパトカーが留めてある公園の入り口へと戻っていった。
 残った二人のうち、玄関で名乗り出た背の高い男が、足元で逆さまになっている旧式のカメラを拾い上げた。指先で雑に土を払い、ファインダーをのぞく。残った若いもう一人の男が訊いた。
「まんまと、ですか」
「まんまと、だな」
 ファインダー越しに見た百年後の景色は、同じ星とは思えないものだった。生命を感じられるものは何一つなかった。地は赤黒く、大小さまざまの鋭利な石や岩で埋めつくされ、空は火山が噴火した後のように、粉っぽい灰色の雲が渦を巻いている。池は干上がり、不気味なクレーターになっていた。
「しかし多いですね、最近同じような現場」
 背の高い男はファインダーから目を離し、
「巻き戻しカメラがあれだけ売れているんだ。だったら早送りも、と思うんだろう。QQQに贋の巻き戻しカメラのプログラムを、わざと流しておくことを考えた開発者は、まさに未来が見えていたわけだ」
 と言った。
「そしてそれを未来に書き換えて実行すると、とんでもない世界が広がっている、と。しかも暗号化して埋め込んであるビーコンのお陰で、うちに情報が入るんですよね」
 背の高い男が、証拠品のカメラを若い男に投げ渡す。おっと、と声を上げて若い男が受けとった。
「でも、違法ダウンロードは問題ですけど、どうして未来視研究まで規制の対象になっているんですか?」
「そりゃあお前……」
 背の高い男が上着の胸ポケットから、黒い箱型の、本物の未来視グラスを抜き出し、今度は両目でのぞき込んで言った。
「こんなもの視たら、コールド・スリープに申し込みが殺到して、経済が成り立たなくなるだろう」

 男の目の前には楽園が広がっていた。



(了)

イデトモタカ