サヨナラと、エッセイだけが、人生だ。

  1. おやゆび便り
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愛だの恋だの

愛だとか恋だとか、
ぼくが書かなくなったのは
ぼくは愛だとか恋だとかから
卒業したというわけではなくて、
ただなんというのか、
人生の主題ではなくなったのだろう
と思われるわけであります。

そもそも、愛だとか恋だとかが、
ぼくの人生の主題であったことが
あったのかと考えると、
いささか微妙ではありますけれど、
それでも今よりはずいぶんと大きな比重で
ぼくはそういったものと付き合い、
考え、悩んでおりました。
ようするに、今はそれほどでもない、
ということであります。

愛だとか恋だとかが、
人生の主題になる瞬間ないし期間というのは
一般に「青春」と呼ばれる学生時代
ではなかろうかと思います。
では「青春」とはなんだというと、
ぼくが個人的にたどり着いた定義は

「なにを好きになるかわからない。
なにに好きになられるかわからない。
ゆらゆらと危うい状態」

といったものです。
「なに」は「だれ」にも置き換えられます。

「だれを好きになるかわからない。
だれに好きになられるかわからない。
ゆらゆらと危うい状態」

これでもおなじことです。
文化や概念も擬人化されれば、
おなじように愛があり恋があります。
もちろん「一生青春」といったような、
だれのなかにも、どんな年齢にも、
青春はあるという考えかたも支持します。
こころの状態であり年齢ではない、
という点ではぼくの定義も同様です。

ただ、歳をとるごとに、
こういった「危うさ」がなくなっていく
ということもまた事実なのです。
少なくとも、弱くなっていくのは。

ぼくが愛だの恋だの叫ばなくなったのは、
じぶんがなにを好きで、
なにから好かれているのか
(好かれてしまったのか)を、
ある程度わかってしまったというのが
冷静な自己分析の結論であります。

「危うさ」がある魅力もあるし、
「危うさ」がない安定感という魅力もまた
大きく存在します。
(時として、そういった安定感が、
安定感のない危うい存在をいっそう
危うくしてしまったりもします。)

ぼくはこれからも、
愛だの恋だの言いながら、書きながら、
生きていくのではありますけれども、
もしぼくの文章が昔よりも退屈だったり
つまらなく思えるというのであれば、
それはぼくのなかの愛だの恋だのの、
「危うさ」に惹かれる部分が、
あなたのなかにあったのでしょう。

次にぼくがどう変わっていくのか、
人生の主題がなにになるのかは
ぼく自身もわかりませんけれども、
変化はしつづけているつもりですから、
まあたまにのぞいて「生きてるな」と
思ってもらえればそれもまたよしです。

では、また書きます。

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