サヨナラと、エッセイだけが、人生だ。

  1. おやゆび便り

達人への道

「観察」と「評価」を切り離す。
これができたら達人であります。
コミュニケーションに関する研修を
受けさせてもらっているのですが、
おもしろいほどにぼくは(みんなも)
「観察」と「評価」がごっちゃになっている
というか、考えたこともないので、
いっしょくたに考えていたことが
わかりました。

「観察」というのは客観的事実です。
だれがどう見ても誤解のしようがないこと。
解釈の違いが生まれないものです。

一方の「評価」は個人の考えです。
個々人の思い込みであり、主観であり、
ある意味で勝手な解釈です。

ぼくらはこれらふたつを混同してます。
例えばある人に挨拶をして、
挨拶が返ってこなかったとき、
「ああ、今日は機嫌が悪いんだな」とか
「わたしは嫌われてるんじゃないか」とか
「挨拶もできないなんてダメな人だ」とか
いろいろなことばが頭に浮かぶものです。

でも今書いたものはみんなみんな
ぼくの「評価(解釈)」であり、
客観的事実ではありません。
もしかしたらそうかもしれないけれど、
そうではないかもしれない。
そして悲しいことに、ほとんどの場合、
これらの一方的な評価(解釈)は
まるで的外れな「決めつけ」でしか
なかったりします。

では、先ほどの例を「観察」としてだけ
見てみるとどうなるのか。
覆らない事実はどうなのか。
それは「挨拶が返ってこなかった」であり
「挨拶をしても何の反応もなかった」です。

それ以上でもそれ以下でもありません。
事実としては、それだけのことです。
けれどぼくらは「それだけ」では
なかなかいられません。
そこに意味を強引にでも捉えようとします。
だから「ややこしく」なります。
すれ違いが生まれてしまいます。

真実は耳鳴りがしていて調子が悪く、
聞こえなかったのかもしれないのに。

人やものやことを評価(解釈)するのが
絶対的に悪いわけではありません。
そこから完全に離れることなんて
ぼくには不可能に思います。
けれど、じぶんの頭に浮かんだことばや
思いが事実なのか思い込みなのか。
観察なのか評価(解釈)なのか。
それはわかっていたほうがいいです。
それが達人への道なのだと思われます。
ぼくはまだまだですけれど。

では、また書きます。

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コメント

    • ゆっぴ
    • 2019年 4月 13日

    こんばんは~

    実は最近のわたしの悩み事でして、、
    観察と評価を切り離す。

    それを知っていれば、
    それを思い出すことで、
    たとえ悪気があってしていることであっても!
    クールに受けとめられるかもしれませんね。

    しばらく、試してみます。
    ステップアップだー!

    寝ても覚めてもの話題でしたので
    びっくりしました。
    ありがとう。
    こうやって説明されたら素直に受けとめられそう。
    では、もう一眠りして仕事に行ってきます。
    おやすみなさーい。

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