サヨナラと、エッセイだけが、人生だ。

  1. おやゆび便り

流れ流れて

そこに「流れ」があるのか。
それを見なければいけません。
たとえばお金がぽんと入ってきたとき、
「流れ」あって入ってきたのか、
たまたま「流れ」なく入ってきたのか。
どちらかによってまるで意味が違います。

一般にできるといいと言われていることを、
きちんとできている人というのは、
十中八九「流れ」をもっているものです。

整理整頓にせよ、家事にせよ、
読書にせよ、なにかの勉強にせよ、
できている人は自然にそれができる、
無理なくできる「流れ」があります。
意思の力に頼るよりもはるかに、
「流れ」に身を任せるほうが確実です。

まだそこに「流れ」がないとき、
新しい「流れ」をつくりたいと願う場合、
いちばんの方法はすでにある「流れ」に
組み込んでしまうことです。
そもそも「流れ」とは強引にはできず、
ありもののなかに乗せることしか
できないのですから。

ぼくらも時間という大きな「流れ」のなかを
漂い生きているに過ぎないわけでして。
その大きな「流れ」があるなかに、
日々の小さな「流れ」が存在して、
その多くは特別な意思を必要としない
生きるために備わっている「流れ」で、
そこにいかに意味のある、
生きる以上の「流れ」を合流させられるか。
もし人に違いがあるとするなら、
そこにこそあるのではないかと思います。

「流れ」というのは視覚的にも
うつくしいものです。
人はうつくしいものを愛しますし、
うつくしいものが壊れると痛みます。
一日でも早くじぶんの生活のなかに
うつくしい「流れ」を合流させる。
ぼくのテーマはいつだってそこにあります。
うつくしいと思える人がもつ「流れ」を
知って参考にするのも生きる手段です。

では、また書きます。

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