サヨナラと、エッセイだけが、人生だ。

  1. おやゆび便り

空白戦争

一瞬たりとも「寂しさ」を感じたくない
と思うと人はなんだってする。
それはもう恐ろしいほどに。
孤独と言い換えてもいいですが、
あるいは「空白」のほうがより
適当なのかもしれません。

真空は埋まろうとする。
空白は埋められる。
これは宇宙の真理のようなもので、
理屈どうこうとは別に、
ぼくは「そのとおり」だと思っております。
事実、真空も、空白も、
自然と(脅迫的に)埋められる場面を
何度となく目にしています。
それほどまでに、存在しつづけるのが
むずかしいものでもあります。

物理の世界で適応されるものは、
往々にして抽象の世界でも当てはまります。
すなわち、心理的な真空や空白もまた、
埋められることを必然としています。
幸か不幸か、そしてそれを埋める手段に
今の世の中は満ち満ちております。

SNS、動画、ゲーム、マンガ、
その他なんであれ一瞬でも空白や
余白や真空が時間のなかに生まれようなら
すぐに埋めようと飛び込んできます。
正確には、ぼくらがそれらに
手を出していくのですが、
生きもののようにそれらは隙間に
飛び込んできるといったほうが
なぜだかより実感的でもあるものです。
それくらいに、ぼくらの空白は
存在することがむずかしくなっています。

ぼくにしてもそうです。
注意しなければ、意識しなければ、
集中力の途切れた一瞬一瞬のその隙間に、
空白に真空に余白に、あらゆるものが
飛び込んでこようとします。
埋めようとやってきます。
それらを意味のある読書や思考や
他のなにかで抗うことが、
どんどんとむずかしくなっているように
感じるのはなぜなのでしょうかね。

日々の戦場は、まさにこういった
空白戦争にあるといっても
過言ではないかもしれません。

あなたの人生の隙間を、空白を、余白を
なにで埋めますか。
それは彩りになり、あるいは、
ノイズになるやもしれません。
人と人、違いはそこまでありません。
もしあるとすれば、それこそ、
空白に、余白に、なにがあるのか。
そこをなにで埋めてきたのかという
些細な歴史の連続にこそ
あるのではないかと思われるのです。

では、また書きます。

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