サヨナラと、エッセイだけが、人生だ。

  1. おやゆび便り

裸のことば

言い切ることばには力がある。
ほんとうに「たしかなこと」なんて、
そうそうありはしないのだから、
何らかの根拠をもって
言い切らなければいけないときもある。

断言はできないにせよ、きっとこうだ、
おそらくはこうだ、と言うことで、
ものごとはよりシンプルになる。
でも、とぼくは思う。
ほんとうにそうなのかと。
そこに危険はないのかと。
ぼくの実感では、危険は、あるのだ。

人は気をつけなければ解釈で話す。
不確かなことのはずなのに、
こうだろうと憶測で話す。
ぼくはそういったことばに気をつける。
真実とまでは言えずとも、
事実でさえないのだから。
言ってしまえば妄想なのだから。
精度の差があるだけで。

解釈で、憶測で、話す癖がつけばつくほど、
どういうわけか「自分の(語る)世界」が
正しいものに思えてくる。
自分の認識が間違っていない
ように思えてくる。
そしてそう勘違いすることこそが、
世界を歪ませるのだということに、
なおさら気づきにくくなる。

百歩譲って会話ならそれでもいい。
聞いていても聞いていなくても
いいのだから。
でも報告がそうではなんとも困る。
その情報を「正」として、
ものごとが進んでいくことになるのだから。
情報が正しいかどうかを
判断しなければならない、という手順が
一つ増えてしまうことになる。

アイデアを語るのはすばらしい。
それは解釈や憶測で話すこととは違う。
解釈や憶測で話すことをやめれば、
会話はきっともっと短くなる。
語ることばはもっと少なくなる。
それが本来のことばの量なのだ。
ぼくらは余計なものをつけ過ぎている。
ことばや話が無駄な肉付けで太っている。
飾ることが得意な人がいるけれど、
飾りは本体を見えにくくする。

では、また書きます。

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